Friday, February 11, 2011

日本の教育:登校拒否の問題

日本の教育制度についてを考えると多分二つ特色を思い出す。一つは学校でいじめることだ。たいていこの苛められた生徒達が学校を行こうと気になくならない。二つは教育制度の厳しさ、特に高校や大学に進学ための受験戦争だ。この特色は子供たちの成功するように思えるにもかかわらず結局この特色も生徒達にすごくプレッシャをかけて登校拒否と言った生活を作られる傾向がある。しかし、日本の教育制度に関して、本物の問題は何?日本が生徒達ばかりではなく全民の個性を否定することか?はっきり分からない。

前者のポイントは解答がなかなか見つけられない。世の中にどこへ行っても子供は子供だ。だからこそもし、生徒達が学校で外見を多様化したら子供たちにまだもっと弱い人が苛められるだろう。一方で教師に苛められることは酷すぎると思う。教師は子供たちを認めても認めらなくても全然判断しない方が良い。教師として、彼の責任は皆の生徒と一緒に協力して、平等に学ぶように良い環境を作ることだ。

後者のポイントは、受験戦争で、日本の教育制度の乱れの原因にもう少し似ている。色々な読み物によると日本の苛められた生徒達やものすごくプレシャーをかけられた子供たちも、まずだんだん緊張なってしました。そこでいつか後登校拒否に決定することになった。実はさっきの日本語の授業でこういう問題を座談会した。他の人と作者より、社会が子供たちの幸せをよくするのは一番大切な責任という理由で皆、学校に通うか通うわないかという権利を持つ方がいい。もちろん子供の幸せが一番大切な物だ。そこで子供に自分で選んだ生活を判断せずに絶対に支えたほうがいい。しかしこれは理想的な考えに過ぎない。

例えばもし一つの子供が学校を辞めたら、どんな仕事が見つけられる?芸術のような仕事に成功する可能性があるがその成功率は低すぎる。その上、事実的にどんな仕事をとっても、皆基本的な技能や知識を得るべきだ。義務教育なしでや皆学校に通うか通わないかという権利があったら多分全民の多数が計算出来ないし、言語をうまくに読めなったり、書いたり出来ないし、世界や社会の要求に満たせない。絶対に自分の夢を無視しろというわけではなくて、実は私の両親が音楽家で八人のバンドがある。それにITUNESにCDがある。僕は作者になりたい。でも基本の技能を学ばなかったら僕の家族は全然生活できなかった。この芸能のような仕事を就職したい人々を見ると僕は「もし家族がお金で支えが辞めたらどうしよう?本当に基本の知識と技能なしで自分で支える?」と問う。僕の考えは高校を卒業した後、「夢を追いかけてプロに飛び込まれる」ために要望したい職業を求めてもけっこうだが、その時までにけして学校を辞められない。

これは本物の問題だと思う。大人たちに子供たちが社会に成功するように色々な限界に決定された。大人たちの希望は子供たちに迫害しなくて、出来る限り子供たちに手伝ってあげると思う。しかし、大人たちの方法は多分子供たちの希望が思うように支えれない。どうしよう?本当に解答があまりない。でもまず日本が自分の社会に見直して、その後、教育制度に見直すだろう?

ボールズ